三野製麺所がつくる乾麺は、乾燥しているので添加物を加えなくても長期保存が可能。さらに、ゆでればお店で食べるできたての讃岐うどんと同じのどごし、香り、コシが堪能できます。本場の味が楽しめるとあって、県外さらには海外から注文が来ることもあります。
「ゆでたうどんをそのまま乾燥させただけなんよ。シンプルでしょう?」と奥さんは言います。しかし、同じ作り方の乾麺を他では見たことがありません。なぜでしょうか。うどん作りの現場を訪ねました。
三野製麺所は今では乾麺と冷凍うどんの専門店となっていますが、最初は昭和初期に水車で小麦粉をひく製粉所として始まりました。「その頃のお客様は、ものご(入れもの)を持ってうどん玉を買いに来て下さり、子供のおつかいも多かったそうです。」と奥さんはおっしゃいます。
昭和40年ごろ、先代は「余った麺がもったいない。そうめんのように乾燥して保存しておけば欲しいときにすぐにゆでて食べられるのではないか」と思いつき出来たのが現在の乾麺です。
うどんは、ゆでてから時間が経つにつれて、コシとツヤがなくなってしまいます。三野製麺所の先代は、ゆでてしまったお店のうどんを捨てることなく、たくさんの人に食べてもらいたい、という食べ物への愛情や「もったいない精神」で、この乾麺を思いついたそうです。
乾麺をつくる現場を訪れたのは朝9時。すでにうどん生地はできていて、最後ののばしの作業を迎えていました。
「毎朝、4時くらいにはうどん生地を作り始めとるんよ」と奥さん。
発送用の、しかも保存のきく乾麺をつくるのに、なぜ早朝から作業を始めなければならないのでしょうか。
「手打ちうどんの行程はうどん屋さんと同じやけど、うちはさらにそれを乾燥させて、包装、発送するからね」
つまり、うどんを作る工程は、うどん生地作りからゆでるところまで、一般的なうどん屋さんと全く同じ。出来上がったうどんはその場で食べることができる状態のものです。ゆでたうどんをそのまま提供するのではなく、その後、全国、全世界へ届けるための工程があるため、早朝から作業を始める必要があるのです。
小麦粉と塩と水を混ぜ合わせて生地を作り、時間をかけて生地を寝かして、のばし、鍛えて、切る。その様子は昔ながらの手打うどん店そのものですが、三野製麺所ではところどころで機械を使っています。生地を平らにのばす機械はとても年季の入ったものでした。
「これは、うどん足踏み機といって、先代でもあるうちの父親が手作りした機械なんや」
先代はもともと機械製造の会社に勤めており、家業の製粉所を継ぎ、のちに手打うどんの世界に入ったそうです。
うどん生地を足踏みすることは、うどんのコシの生命線ともいえる大事な作業です。しかし、昭和40年代に「食べ物であるうどんを足で踏むのはよくない」という足踏み禁止令が出るという噂が広まり、先代は自ら設計して足踏み機を作ったそうです。
三野製麺所と他のうどん店との大きな違いは「ゆで時間」です。三野製麺所の乾麺は食べる前にもう一度ゆでるので、そのゆで時間も考えて乾燥前は通常よりもゆでる時間を短くしています。ゆであがったうどんを冷水で締めて、それを奥さんたちが手際よく1食ずつ計量して、乾燥用のざるにあげていきます。
「しっかり乾燥させないと、保存がきかないでしょう。けれど、乾燥しすぎると表面がひび割れしてしまうんよ」
そう笑いながら、奥さんはうどんの入ったざるを抱えて乾燥室へ入っていきました。この乾燥の行程は企業秘密だそうです。
しかし、三野製麺所の皆さんを見ていて、世界の人に愛されるうどんの秘密は、乾燥のしかただけではなく、「たくさんの人においしいうどんを食べてもらいたい」という想いなのだと感じました。
生地作りからお客様へのお届けまで、多くを手作業で行っているうどん作り。その製法は昔から変わることなく受け継がれており、手間暇のかかる、大変な製法です。けれど、その一つ一つの作業や手間を惜しまない愛情をかけたうどん作りが、古くは国鉄の時代から鉄道小包で遠方へうどんを届けていたという、全国、全世界にいる三野製麺所のファンを惹きつけてやまない魅力の一つでもあります。