« 【うちわ工房 竹】江戸時代から脈々と受け継がれる伝統の技、丸亀うちわ | ブログTOP | 【安岐水産】未来に向けて、海も人も地域も育む水産会社 »
伝統を大切にしながらも時代に合わせたモノづくりを実践してきた染物屋がある。
この度は創業200年を超える染物屋、大川原染色本舗へ「讃岐のり染」(香川県の伝統的工芸品)の魅力やこれまで手掛けてきた染物の話、今後の展望などについて、香川県伝統工芸士でもある7代目大川原 誠人さんと奥様にお話を伺った。
大川原染色本舗は江戸時代、文化元年(1804年)に初代である富造によって創業された。当時は一般的に藍染が中心で時代を経るごとに、その時代に合わせて手掛ける染物も変わっていった。空襲で多くが焼けてしまったため江戸時代のことについては分からないことも多い。そんな中で、藍甕(あいがめ)の底に保管していてなんとか焼け残った明治時代後期の生地見本を見せていただいた。藍染のもので当時はこの生地見本からお客様に選んでいただいて着物を染めていた。白く染め抜くために生地の両面にのりを置いている。片面だけでは真っ白にならないためだ。両面とも同じ場所にのりを置いていくのには非常に技術がいる。現在では再現が難しいものもあるという。
戦後まもなくのころは、戦時中に使用していた軍服や国防服の染め直しの依頼を多く受けていた。物資の乏しい中で新しいものを見繕うよりは今あるものを、ただそのままでは戦争の苦い思い出がよみがえる。だからせめて染め直して使おう。そういったこともあり染め直しの需要が多かった。他にも進駐軍から星条旗の染の依頼もあった、戦後すぐのことで葛藤もある中で最終的には引き受けた。当時は川や海岸で染めることもあったのだという。
その後も時代に合わせてお客様のさまざまなニーズに応えてきた。
出来るだけお客様からの依頼は断らない。そういった姿勢が今日まで大川原染色本舗が続いてきた理由だろう。
実は、誠人さんは高校選択時には家業を継ぐかどうか迷っていた。周囲からは工芸高校の工芸科を勧められていたが、他校の普通科を選択した。
そんな中、誠人さんが家業である染物について見直す出来事があった。誠人さんのお父様で先代の静雄さんが、当地のデザイン、アートに精通していた金子知事(当時)からのきっかけによって、アメリカ・シアトルにある州立ワシントン大学に客員講師として招かれ、書道と染色を一学期間指導に行くことになったのだ。
このことがきっかけで、誠人さんは家業が海外でも評価されるのだと知った。もし静雄さんがアメリカに行っていなかったら、染色をやっていたかわからないという。
「近くにいるとそれが普通になってしまい、なかなか客観的に見ることが難しかったんです。」
染物屋は全国各地にあり、その数は減ってはきているものの各地にいまも残っている。面白いのは地域によって特徴があり、それぞれ得意な分野があるのだという。例えば、岐阜県には相撲の幟(のぼり)を専門に染めているところがあるなど、染物屋といっても地域ごとにその内容は違ってくる。
香川県には獅子舞の文化があり、秋になるとあちらこちらで祭囃子の音が聞こえてくる。その獅子の胴体部分にあたる布のことを油単(ゆたん)といい、鮮やかな色彩で様々な絵柄が描かれている。この油単の染めにも讃岐のり染が使われている。大川原染色本舗でも多くの油単を染めてきた。この油単の絵柄も今と昔では違ってきている。特にここ最近でガラッと変わってきたという。以前は吉祥柄や武者絵と呼ばれる所謂定番ものが多かったが、現在は同じ武者絵でも、よりストーリー性のある絵柄や色彩など個性が光るものの依頼が増えている。他にも本来はセットで描かれることの多い「龍虎」だが、近年は「虎」だけのデザインを希望されることもあるなど、求められるデザインが変化している。また、図柄が複雑で色も多彩になっているためとても難しい作業が求められる。
「毎回がチャレンジです。」
出来上がった油単はそれ自体がまさにアート作品そのもの。展示して飾りたいくらいだねと、お二人とも笑っておられたのが印象的だった。
私もデザインを見せていただいて緻密でありながら大胆な図案に見入ってしまった。まさしくアート作品そのものといった味わいがある。
ぜひ、祭りの季節に華麗に舞っている獅子の姿をぜひ1度見てみたい。
実際、獅子を新調すると舞っている姿を一目見ようと人が集まってくるそうだ。地域振興にも一役買っている。もちろん、決して安いものでないため地域(自治体)の理解は必要だ。しかし、丹精込めて作られた油単はきっとそれぞれの地域にとって誇りとなるに違いない。
他に最近注文が増えているのが店先に掲げる「のれん」だ。
一時はあまりその姿を見なくなっていた「のれん」だが、最近では再び需要が伸びているそうだ。栗林庵でも大川原さんに染めていただいた「のれん」を使用している。お客様が「のれん」をバックに写真撮影をされている姿をよく見かける。
大川原さんご夫婦は旅行が好きで色々な場所に行かれるそうで、職業柄「のれん」など染物に目がいくとのこと。そうすると京都でも有名店などが「のれん」を使用しているのを見かける機会が増えたと感じるそうだ。
「和モダンな雰囲気や老舗感の演出として「のれん」を使用するところが増えたのではないかと考えています。」
ここまでは、大川原さんが手がけてきた染めの仕事について書いてきた。
ここで、少し具体的な作業についてのお話を伺ったので、一問一答形式で見ていこう。
Q:染めて仕上がるまでにはどのくらいかかりますか。
大川原さん:ものによって変わってきます。色数の少ないものだと3週間くらいで仕上がります。(上記の)油単などになると半年以上かかるものもあります。
Q:色とりどりの染物を手掛けられるにあたって、どのくらいの色を使用するのですか。
大川原さん:もとの色となるものは15色ほどですが、デザインに合わせてその都度調合しています。
Q:染めの中で一番難しいのは何色ですか。
大川原さん:灰色です。灰色を作るにはまず黒を作り、それを水で薄めていくことで灰色が出来上がります。他の色を混ぜ合わせていくことで黒を作るのですが、この時の配分次第で赤っぽい灰色になったり、青っぽい灰色なったりします。この作業が難しいのは染の段階では水分量が多く、この時点では黒く見えるため乾いてみないとはっきりと色がわからないところです。
Q:今まで手掛けてこられたもので最大のものは何ですか。
大川原さん:30年近く前になりますが、冠纓(かんえい)神社の大獅子 です。(*これは県指定の有形民俗文化財にもなっている。)他には約20mの幕も手掛けたことがあります。大きなものになると一度には染められないため何枚かに分けて染めますが、その分縫い合わせる際の柄を合わせることも考慮して染めなければいけません。
最後に今後についてもお話を伺った。「今までもそうであったように、伝統を大切にしながらも時代のニーズに合わせたモノづくりを行っていきたい。そして、いまある伝統のものがそうであったように、いずれは伝統と呼ばれるようなモノづくりを心掛けたい」とおっしゃっていたのが印象に残った。
恥ずかしながら、私は大川原さんに取材させていただくまで、「讃岐のり染」のことをよく知らなかった。しかし今回お話を聞かせていただく中で、「讃岐のり染」の魅力はもちろんのこと、伝統の継承だけでなく、時代と向き合いながら先を見据えた製作を行われている姿に感銘を受けた。私は漆芸の勉強や短期間だが着物屋で働いていたこともあり、いわゆる伝統分野の話を聞く機会があった。もちろん前向きに仕事をされている方も多かったが、困窮している話や消極的にならざるを得ない状況などの話題も多く聞いていた。そういう経緯からか、余計にこんなにも身近に先を見据えた製作をされている姿にはとても心動かされた。
取材のあと、製作の現場を撮影させていただいている際に息子さんも私たちに同行してくれた。伝統分野は後継者がおらず、その歴史に幕を閉じることも多いと聞く。お子さんが家業に興味を持ち、実際に継ぐことのできる体制を築くことはとても難しいと思う。 誠人さんも「これまでの伝統の継承も、これから伝統を作っていくのにも環境づくりが大切だと考えています。」とお話しされていた。 次世代への継承という点でも、大川原染色本舗のこれからが楽しみだ。
敷居が高くてお願いしづらいと言われることもあるという。そこでより身近に感じてもらえるようにトートバッグやハンカチ、巾着など、手に取ってもらいやすいような雑貨も製作している。
栗林庵オンラインショップでも一部だが取扱っているので、ぜひチェックしてみてください。
« 【うちわ工房 竹】江戸時代から脈々と受け継がれる伝統の技、丸亀うちわ | ブログTOP | 【安岐水産】未来に向けて、海も人も地域も育む水産会社 »