高松市中心部から屋島を越えて東に向けて車で30分ほど走った所にうどん本陣 山田家はあります。近くには四国八十八ヶ所札所の八栗寺やイサム・ノグチ庭園美術館などがあります。お店が近づいてくると電信柱に貼られた山田家の看板が目に留まります。
駐車場に車を停めると登録有形文化財にも認定された趣のあるお屋敷が目の前に広がり、その奥にはかつてお酒の醸造所であった時の名残りであるレンガ造りの煙突を望むことができます。また庭には庭師によって丁寧に手入れされた四季折々の木や草花が植えられており池には鯉が泳いでいます。
店内のいたるところに創業者の山田潔さんの叔父でもあった和田邦坊さん※による暖簾や提灯、直筆画などが目に入ります。このような落ち着いた環境の中で食事できるということが山田家の大きな魅力のひとつです。
※和田邦坊(1899〜1992)
琴平町出身。新聞記者、漫画家、画家、商業デザイナーとして大正から昭和にかけて活躍したクリエイター。風刺画「成金栄華時代」が代表作。栗林公園商工奨励館勤務ののち讃岐民芸館の初代館長に就任。現在も残る香川県を代表するお土産のパッケージを多く手がけた。
そもそも山田家の始まりは潔さんが脱サラした時にさかのぼります。もともとは江戸時代末期から続く由緒ある山田家の邸宅でしたが、当時サラリーマンだった潔さんが今後この邸宅を維持していくためにはどうするべきか叔父である和田邦坊さんに相談したところ、「おまえの好きなことで商売したらええやないか」とアドバイスをもらい、元々好きだったうどんを選びお店を開くことになったそうです。
看板や暖簾、提灯などの店舗内装やお土産用うどんのパッケージだけではなく、味付けや麺の太さなども含めてうどんのメニュー自体も邦坊さんが実際に食べて意見を出しました。総合プロデュースとでも言えばいいでしょうか。(このインタビュー記事の冒頭にある電信柱の看板も一番目立つ色ということで橙色にしたそうです。)
また、香川県民にはおなじみの山田家の紙袋。実は紙袋には山田「家」ではなく、山田「屋」と記載されています。この山田「屋」という字、邦坊さんが言うには正式な「家」ではなくあえて「屋」にしたとのこと。理由は二つあり、一つ目は口に出して山田「け」ではなく、山田「や」と読んでもらうため。もうひとつは「家」よりも「屋」の方が字面の見た目が安定感があるからとのこと。通常ならNGとされることをOKとするおおらかさは邦坊さんならではかもしれません。
初めて来るお客様が驚くのが、店内のスタッフがインカム(ワイヤレスの通話装置)やハンディ(注文などを管理する携帯端末機)などの機器を使用していること。趣のある建物や雰囲気からは意外に思えるかもしれませんがそれが山田家のサービスの秘訣です。インカムで連携し駐車場に入って来る車の数をすばやく厨房に伝達し、注文が想定されるうどんを直ちにゆでて、少しでも早くご注文いただいたお客様に出せるように工夫しています。釜揚げうどんをご注文いただいたお客様からはあまりに注文してから出て来るまでの時間が早いので湯だめの時間が経ったうどんを出されたと勘違いされることもあるそうです。(笑)お客様へのサービスの向上のためにはハイテクな電子機器も駆使します。
年2回発行するカタログ「山田家倶楽部」は自社で制作を行っており、写真撮影は広報担当の方が行い、社長自らが写真撮影のサポートをすることもあるそうです。
カタログ内で使われる写真を見ていると食指が動きます。ここまでこだわったカタログを自分たちで作るうどん店もなかなかないのでは。
ここ最近特に人気があるのが冷凍タイプの個食鍋。うどんすきやカレーうどんなど手軽に贅沢な1人前のうどん鍋が出来上がります。
ずっと永く続く山田家の味。小麦の原材料の産地は変わることもあるため、そのブレンド具合は時代に合わせて細かく調整しているとのこと。潔さんと奥様がチェックし「山田家の味」という大枠は変えません。
また、セルフのうどん店とは違って、家族でゆっくり過ごしたり、県外からの友達やお客様を案内したりと落ち着いて過ごすことができます。小さいお子様への椅子や食器などの気遣いも忘れないのでお子様連れの家族の方にも安心です。
県外から来たお客様はこの味とボリューム、このお店の雰囲気でこの値段?と驚く方も多いそうです。価格以上の価値を感じさせてくれるのも、ずっと守り続けてきた山田家の味や地道に積み重ねて来たお客様一人ひとりへの信頼や安心感があってこそだと感じました。
それらに加えて他のうどん店にはない建物や環境、和田邦坊の作ったパッケージや作品も含めたそのトータルでの”世界”が山田家の魅力です。
そんな山田家の味を手軽にご自宅でも味わえるように作られたお土産用うどんをぜひお試しください。