
川口屋漆器店 創業から現在まで
現在、川口屋漆器店を率いる、三代目の佐々木康之社長にお話しをお伺いしました。
戦後間もない昭和21年(1946年)、現さぬき市長尾に創業。
当時まだ世の中も不安定だった時代。佐々木社長の祖父は「さて、これから何を仕事にしていこうか」と模索していた折、知り合いの家具店から、座卓や家具に漆を塗る仕事をやらないかと声がかかりました。そこでの仕事をきっかけに着実に経験と実績を重ね、川口屋漆器店が誕生したそうです。


かつて漆器の需要が高かった時代は、工房に次々と注文が入り、多くの職人が製作に追われる日々だったそうです。結婚や新築といった人生の節目に、家族分の食器や調度品を一式揃えたりしていたため、漆器は暮らしの中に当たり前のように使われていた存在だったといいます。しかし、時代の流れとともに、人々のライフスタイルが大きく変わりました。核家族化や共働き世帯の増加、安価で丈夫な食器が手軽に手に入るようになったこと、漆器が食洗器や電子レンジに対応していないこと等、日常的に漆器を使う家庭が少しずつ減っていきました。
国の伝統的工芸品に指定されている「香川漆器」を知る機会や、触れる機会が以前よりも随分少なくなってきました。こうした変化のなかで、佐々木社長が感じたのは
「待っているだけではいけない!」という強い思いでした。
香川漆器の魅力をもっと多くの人に知ってもらうために。そして、暮らしの中でなにげなく使われる”日常の器”として広がっていくように。そんな想いから、佐々木社長が2015年に立ち上げたのが「87.5」(ハチジュウナナテンゴ)というブランドでした。一見すると、温度のようでもあり、ラジオの周波数のようにも考えられます。
「四国・香川県産の漆器をもっと知ってもらいたい。」という想いで、四国88ヶ所巡りの87番から88番への道中にある工房の位置からそう名付けたそうです。
「日々の暮らしの中で、幸せを感じられる道具。」それが、このブランドのコンセプト。
このブランド名もとてもユニークです。
佐々木社長の人柄が醸し出す雰囲気や、豊かでユニークな発想と遊び心が、このブランド名からも感じられ、見ているこちらもワクワクする品ばかりです。
漆器に抱くイメージって?
「香川漆器」と聞くと、格式が高く、敷居の高い伝統的工芸品という印象を持つ人が多いのではないでしょうか?かくいう私も、取り扱いが難しい、特別な日に使うもの、芸術性の高い貴重なもの、という印象でした。しかし、佐々木社長は、そんな概念にとらわれない豊かな発想で、香川漆器の新しい試みにチャレンジし続けています。それを象徴するものの一つが「87.5」。
漆器の扱いって難しい?
「”漆器=扱いが難しいもの”というイメージを持つ人が多いが、塗り方や製作方法によっては、取り扱いもしやすく、日常使いに向いている。」と佐々木社長。漆器の良いところは、まず何より持った時の軽さ。そして、落とした時に割れにくい。熱い汁物を入れた器を持っても、持った手に熱さを感じにくく料理そのものも冷めにくい。逆に、冷たい飲み物を入れても結露しにくく、コースター要らず。この熱伝導率の低さが使いやすさに繋がっています。さらには、痛み具合によっては欠けたりひび割れたりしても修復できる場合が多いこと。それから素材として最後には土に還ること。これは現代の「サステナビリティ」や「SDGs」といった考え方にもそぐう優秀なものと言えるのではないでしょうか。
佐々木社長が洋服を例えに挙げてお話してくださいました。
タキシードは特別な日に着る上質な生地の衣装で、お手入れはクリーニング店へお願いするものなのに対し、Tシャツ等の普段着は家庭の洗濯機で手軽に洗って着られるものです。漆器も同じです。丁寧に扱わなければならない特別で芸術的な漆器もあれば、ご家庭で日常使いできるものもあります。その日常使いできるものを多数取り揃えているのが87.5です。
川口屋の強みをお聞きすると、「昔からの伝統的工芸品も製作する、けれど次の世代にも使ってもらえるようなポップなカラーリングやデサインの商品も製作していることかな。」と佐々木社長。
店内を見渡すと、それだけではありません。

漆器を置いているスペースの向かいには、陶器や木製品・ビンテージタイルなど、佐々木社長自らセレクトしたオシャレな雑貨達が漆器と一緒にディスプレイされています。こちらは、日常を意識し、漆器だけではなくライフスタイルをトータルで表現しており、こういった一面が川口屋が他とは違う魅力の一つだと思います。


こうしたディスプレイによって、みなさんの食卓に陶器やガラスの食器と共に、ごく自然に漆器が並んでいる様子が容易にイメージできるのではないでしょうか。
得意とするのは「象谷塗」
香川漆器には5つの技法があります。「蒟醤(きんま)」、「存清(ぞんせい)」、「彫漆(ちょうしつ)」、そして「象谷塗(ぞうこくぬり)」、「後藤塗(ごとうぬり)」です。
「象谷塗は得意です。香川県独自の技法であるし、県外のお客様には目新しく映り、マットな質感やシックな雰囲気が好評なんです。それから、独楽(こま)塗の商品なんかは、カワイイと言われることもあります。私からすれば、独楽塗を”カワイイ”って思う概念は・・・無いよねぇ。」と佐々木社長は笑います。こちらが思いもよらないような感想を持つ県外の方の声を耳にするたびに、今までにない新しい香川漆器の魅力や可能性に気付かされる事もあるようで、お話されている姿は、本当に楽しそうです。

独楽(こま)塗は、美しい同心円状の模様が特長で、「仕事がまわる!お金がまわる!運気がまわる!円満にまわる!」など、良い流れがまわっていく様に、との願いが込められた縁起物の意味合いもあります。

漆を乾かすには高い湿度で。
工房には、三種類の「室(むろ)」と呼ばれるスペースがありました。
川口屋の室は、押し入れのような空間で、湿度を低くした「空室(からむろ)」、漆を乾かすための「湿室(しめむろ)」、そしてその中間の湿度環境に整えた室があります。
この日の湿室の温湿度計は、室温15℃、湿度70%を指していました。


「漆を乾かすための湿度の高い室」? 乾かすのに湿室なのだろうか?と不思議でした。
一般的に乾燥といえば、熱や風などで水分を蒸発させる事。
でも漆は正反対で、なんと湿度が高くなくては乾かないのです。
この日作業されていたものは、静岡県のお客様の食器の修復でした。
何十年か前に香川県で買った漆器。でも購入した店が今はもう無いとのことで、漆器組合を通じて川口屋に依頼がきたそうです。
痛み具合から修復方法を考えるため、予め画像を送ってもらうなど、より丁寧な対応を心がけていらっしゃいます。

「香川漆器やから、他で作られたものでも作り方は同じ。」と、漆を塗る手を休めることなく、我々にも分かるようにお話してくださるのは佐々木敏晴会長。とても親しみやすい優しい笑顔が印象的な方でした。会長が座るその作業台に目を向けると、漆で盛り上がった部分があり、これが長い年月続けてこられた丁寧な仕事ぶりを誇らしく物語っています。
長年使用された証でもある傷やひび等を漆を塗り重ねることで、滑らかな表面に戻すことに加えて補強効果もあるとのこと。きっと、今回のお客様も、生まれ変わって戻ってきた器にますます愛着が深まるのではないでしょうか?
塗り終えた器は、細長い板にいくつも並べられ、適切な室で乾燥させます。



使う漆の種類も多種多様で、漆の木そのものが減っている昨今、国産の漆はとても貴重だそうです。
棚には、川口屋の特長でもある、ポップでカラフルな色漆が入った器が所狭しと並べられていました。色漆の発色には、乾燥速度がかなり重要なポイントだそうで、例えば白を塗ったとします。乾燥速度が速いと茶色がかった色になってしまうそうです。そこで、空室(からむろ)に一日置いたりと工夫が必要とのこと。ここまできても、まだ「乾燥=高い湿度」の部分に私の理解が付いていきません。
漆を塗ることができる素材は木だけではないそうですが、木が最も浸透し易いことと、形状が安定していることが、漆製品に木が多いことの理由だそうです。
木以外の素材で、過去にこれを作ったことがあると見せてくださったのが、工房の机の上に置いてあった「ガラケー」です。その素材は樹脂ということですが、その仕上がった外装がこちらの写真。これも出来なくはないが、塗り重ねた漆が木ほど安定せず浮きやすいため、難しいとのこと。やはり木との相性が一番良いようです。


繊細で重要な工程を間近で拝見
職人の皆様にもお話を伺ってみました。
工房に足を踏み入れてすぐのところでは、届いた木地のささくれや多少の凹凸を、紙やすりでひとつひとつ丁寧に研ぎ、表面を滑らかにする工程を行っていました。

木目がハッキリと見える漆器、ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。
摺り漆(すりうるし)という技法でつくられたものなのですが、あの美しい木目の仕上がりのベースには、この工程がとても重要とのこと。
そして奥の部屋へ案内され入ってみると、彫りの表面に出来た傷や欠けに、ペースト状の漆を塗り、木地を滑らかにする為の補修をする工程を行っており、こちらも仕上がりを左右する需要な作業です。


同じ部屋の一角では、存清(ぞんせい)という技法で作る漆器を手掛けていらっしゃいました。
この職人の周辺だけ、床が水で湿らされていました。埃が舞うことや漆器に付着することを防ぐためにしているそうで、漆器の繊細さを感じました。

このような細心の注意を払いながらの工程に向き合っておられる職人の皆さんの作業を、間近で見せていただける機会などなかなか無いと思います。本当に貴重な体験をさせていただきました。
「こんな使い方していいんだ!」

商品の企画立案に関しては、佐々木社長の妹さんも一緒に考えているとのこと。
兄妹で各方面にアンテナを張り、様々な角度からヒントを拾い集め、独自の感性と高いセンスで商品作りに取り組むお二人。それぞれの立場や置かれた環境から感じ取るものを掛け合わせて、これらの商品が生まれてきたのでしょう。
漆器の特性を存分に生かすこと。各地を訪れた際に聞くお客様の声や、使ってくださるお客様の声にしっかり耳を傾けていること。だからこそ湧いてくる豊かなアイデアで、どの世代のライフスタイルにもバランス良く寄り添える、そういう優しい商品を、今後も世に送り出してくれるだろうと期待してやみません。
SNSでは、実際に様々なお料理を盛りつけた写真を見ることができます。お味噌汁や鍋料理、色鮮やかなサラダやパスタ、お刺身にお寿司やお蕎麦。わたしたちが食べ慣れた「いつものごはん」です。 お料理だけでなく、ふかしたサツマイモや、ケーキなど、おやつ時間にも使われています。
その中でも私が一番驚いたのは、ポテトチップスを盛りつけた画像!目から鱗の画像で、私の頭にこびりついた固定観念は、弾き飛ばされたように解放された気分でした。こんなふうに使っていいのなら、そんなに敷居の高いものではないんじゃないか、と。みなさんもお時間のある時に良かったらご覧になってみてください。面白い発見があるはずです。





いつもの食卓に、漆器を
みなさんのご家庭にいま眠っている漆器、ありませんか?
あるという方、この機会に引っぱり出して使ってみませんか。
SNSで紹介されていたような素敵な料理は私には作れませんが、いつもの食事をこうして漆器に盛りつけるだけで格段に腕が上がった気分になれるかも!?です。そして、使っていくたびに味わい深くなる様を眺めるのも、楽しみの一つになる気がします。私も今回の取材を機に箱に入ったままの漆器を出して日常の中で使ってみようと思います。
また、家に漆器は無いなぁ、という方。気さくなお人柄の佐々木社長に会いに、お店に行ってみてはいかがでしょう。きっと、思わず手に取ってみたくなる素敵な漆器達が待っています。
当店実店舗やオンラインショップでも、いくつか商品をお取り扱いさせていただいております。自分へのご褒美として、また大切な人へのギフトとしてもピッタリです。ぜひ普段の食卓に香川漆器を取り入れてみてはいかがでしょうか。
高松市の中心部から少し離れた静かな場所に、陣屋菓子司はあります。
夏の暑い日、青空に映える白いのれんと涼しげな緑が迎えてくれました。

陣屋さんは1977年創業の和菓子店。
店名からは厳格な雰囲気を想像する方もいらっしゃるのではないでしょうか。でも、ご心配なく。お店に入るとそこは和モダンの親しみやすい空間。2代目社長の土居裕明さん、土居純子さん、川井美和子さんが温かく迎えてくれました。ちなみに店名である「陣屋」とは侍が集まっていた場所のことで、歴史好きだった初代が名付けました。


ショーケースにはかわいらしい季節の生菓子や「和三盆製 釜焼加寿貞良(かすてら)」などが並んでいます。




陣屋さんの看板商品の「献上栗」もあります。

献上栗は、栗が丸ごと一粒入った白あんを薄皮で包んだ栗まんじゅうです。
先代が江戸時代に高松藩主が栗林荘(今の栗林公園)で収穫した栗を将軍家に献上していたことから発想を得て作り上げました。それ以前にも刻んだ栗をあんに入れた栗の形をした栗まんじゅうを作っていましたが、「献上栗」として今のスタイルに一新しました。

現在、栗林公園にある掬月亭(きくげつてい)では、抹茶のお茶菓子に献上栗が提供されています。そこで召し上がったお客さまが「おいしかったから」と帰り際に栗林庵に買いに来られることもよくあります。


全国の和菓子屋さんが栗まんじゅうを作っていますが、献上栗のこだわりは「生菓子に近い栗まんじゅう」であること。生地は薄くて、中の白あんとなじみ、しっとりとした食感が特徴です。「じつは、栗まんじゅうのパサパサとした食感が苦手だったのですが、結婚してここの栗まんじゅうを食べたときに、おいしいなぁと思ったんです。お抹茶にもよく合うんですよ」と純子さん。

生菓子に近いしっとり感を生み出すためには、生地の薄さが重要だとか。機械では再現できないことから、一つ一つ手作業であんを包んでいます。
まず、卵、砂糖、水あめを加えて混ぜ合わせて、生地のもとを作ります。この生地のもとのことを、陣屋さんでは「蜜」と呼びます。黄金色とろみがかったそれは、まさに蜜。

ここに小麦粉を加えてこねると、たまご色のきれいな生地に。香川県産の伝統的な砂糖「和三盆」も使って、さらりとした甘さとしっとり感を生み出しています。今は甘さ控えめのお菓子が多くなっていますが、白あんは「少し甘さがある方が、人はおいしいと感じる」という先代の教えを受け継いでいます。

丸ごと一粒の栗の甘露煮を白あんで包み、さらにそれを生地で手包みします。生地が薄いので、栗の形がはみ出さないようにすることが難しい点と川井さん。
「包む人によって形に個性が現れるんですよ」と言う土居さんは、高松藩に献上するという気持ちを込めて、どっしりとした形に仕上げます。


刷毛で余分な小麦粉を払ってから、てっぺんに卵の黄身を二度塗り。表面に霧吹きで水を吹いて釜へ。



焼き始めから20分ほど経った、少しレアな状態で釜から出します。卵と砂糖の甘く、どこか懐かしい香りが厨房に広がりました。焼き上がった献上栗は、黄身を塗ったところに照りが出て、ぷっくりとした姿がかわいらしい。

焼き立てを特別にいただきました。皮はサクッと、あんはふっくらとしています。

時間が経つと徐々にあんの水分が皮に移って、しっとりと味も落ち着いていくとのこと。
まだ少し熱いうちにポリシートで包んでいきますが、そこには、しっとりとしているがゆえの苦労も。実は以前、返品された献上栗を開けてみると、ポリシートにまんじゅうの皮がくっついてしまっていたことがありました。
それからは、お客さまが食べるときに、なるべくシートにくっつかないように、生地の配合や包むときの温度を試行錯誤したと土居さん。



生地の状態は日々の気温や湿度で変わるため、水分量に注意して作っていると教えてくれました。
ちなみに、形のわるいものは「カミナリ栗」という名前で店頭に並びます。これを目当てに来るお客さまも多いのだとか。
手作業だから一度に作れる数は300個ほど。
手作業なのは、生地の薄い、しっとりしたまんじゅうに仕上げることが理由ですが、もう一つ理由があります。それは材料を無駄なく最後まで使うこと。
「機械ではどうしても材料が残ってしまうので。材料も大切にしたいですからね」陣屋さんのお菓子作りに対する思いが垣間見えた瞬間でした。

初代、そして2代目と、時代とともに少しずつ工夫を重ねながら作り続けてきた献上栗。
「流行りものではなく、長く楽しんでもらえるお菓子でありたい」とみなさん口を揃えます。この秋からは土居さんの娘さんがお店を手伝ってくれることに。今日も一つ一つ丁寧に作られた献上栗は、次の世代へと引き継がれていきます。



今回は志保(しお)山の中腹に位置するまるく農園に伺いました。まるく農園が位置する仁尾町の曽保(そお)地区は瀬戸内海に面し、急斜面であるのと日照時間が長いこともあり、香川県内で有数のみかん産地です。
山上からは、日本のウユニ塩湖として、全国的に有名になった父母ヶ浜(ちちぶがはま)や伊吹いりこで有名な伊吹島を望むことができます。
今回はまるく農園を経営する組橋さんご夫婦にお話を伺いました。

組橋さんご夫婦。右下に見えるのが父母ヶ浜
最初にみかんが曽保地区にもたらされたのは明治の終わり頃に遡ります。初めは日本屈指のみかんの生産地、和歌山県から海を渡ってやってきました。このあたりは山腹の傾斜地ということで水を得るのが難しく、かつては葉タバコや唐辛子の生産が盛んでした。そこから戦後の農地解放の際に、国からの払い下げの山地を15軒ほどの農家で分け、みかん畑を開いたとのこと。大正9年生まれの組橋さんのお爺さんの時代の話です。
曽保地区は瀬戸内海に面していて、冬の寒さが穏やかです。また、讃岐山脈と七宝山脈の2段階の山脈で雨雲が堰き止められ、降水量もわずか。産地では育てられる作物が限られる中、そんな気象条件とみかんの相性が抜群でした。
全国的にみかん農家は家族経営がほとんどで、生産人口も大幅に減少。平均年齢は約72歳と後継問題に課題を抱えています。そんな中でまるく農園のお二人はまだまだ若手です。
ご夫婦以外にも外国人スタッフを含め数人の従業員に手伝ってもらっているそうです。海外からのスタッフにはゆくゆくは永住権を取ってオーナーになってもらいたい、あるいは祖国に帰った後にも、ここでの経験やつながりを活かし農作物の販売を国をまたいで広げたい、そんな夢の広がるお話を聞かせてくれました。

倉庫にならぶ道具たち
組橋聖司さんが家業の果樹畑を継ぐ決意をされたのが27歳の時、当時はご両親とともに、キウイの栽培を担当されていたそうです。小さな頃は跡を継ぎたいという気持ちは全くなかったそうですが、サラリーマンは自分には向いておらず、みかん農家であれば自分の裁量で全て決められるということで、その道を決断されたそうです。ただ、初めてすぐにその考えが甘かったことに気づきます。当初は労働時間と利益のバランスにおいて、時給換算すると高校生のバイトよりも低かったそうです。
その後はわずか3年目には仕事を全て任されました。31歳の時に、広島県出身の愛子さんとご結婚。愛子さんは当時、香川県内の別の果樹園で働いていました。まるく農園では自身の栄養士の資格を活かし、加工場の設備設計にも携わっています。
ひと昔前だと、農家に嫁ぐお嫁さんは家事をしながら、農作業のお手伝いをするというのが多かったようですが、まるく農園では聖司さんは畑仕事に集中し、愛子さんも自主的にやりがいを感じられるような業務を担当し、役割分担をしているそうです。

聖司さんの運転で畑に案内していただきました。
車1台しか通れないほどの狭い山道を、時に何度も切り返しながら登っていきます。
今では収穫時にみかんを運ぶためのモノレールが設置されていますが、昔は三尺道(幅1メートル弱の道)しかなく、人力で運んでいたそうです。中にはモノレールを自分で設置する方もいらっしゃるそうです。
畑には鳥よけの機械がニワトリのような鳴き声を絶え間なくたてていました。 ちょうど私たちが伺った2024年9月末頃はみかんが緑から黄色に色づき始めていました。

現在、まるく農園では、11月、12月前半、12月後半と時期によって出荷するみかんの品種を変えています。みかんだけで約300品種も種類があり、そこから選びます。農家によってどの品種を選ぶかが違い、個性が出ます。
また、近年では温暖化の影響は大きく、害虫の生育状況、雨の降り方、耐熱性、耐寒性も変化しているので、それに合わせて流動的に品種や栽培方法なども変化させているそうです。
新しい品種の試験栽培についても積極的で、県外視察や苗木屋さんに足を運び、実験的1、2本植えてみて、うまくいけば増やしていきます。1本植えるのに5年、さらに自分のところで増やすのに5年、合わせて計10年ほどかかり、かなり長いスパンの話になり、失敗はできないため、品種の選定の段階でかなり入念に選ぶそうです。そこでは、品種と自分の畑の土壌との相性を見極める力が必要です。同じ畑であれば栽培条件は同じかと思いきやたった20メートル離れただけで環境条件が代わり、育て方を変えないといけないというシビアなもの。こういったノウハウやお爺さんの代からの試行錯誤は、文章での伝達ではなく、実際に体を動かしながらの作業していくなかで身につけていったそうです。

レモンとレモン果汁ジュース
まるく農園ではみかんだけではなく、レモンに可能性を感じ、近年栽培に力を入れています。日本のレモンの需給の内訳は海外輸入6万トン、国内1万トンとのことです。今後は輸入品が入ってきにくくなる可能性や価格が高騰することを考えると、大きなチャンスです。
レモンはみかんに比べても寒さに弱く、雪が積もると木が枯れすぐにだめになってしまうそうで、降水量の少ない曽保地区は栽培に向いています。
組橋さんが商標を取得した「はつ恋キュンッれもん®」。このレモンを絞った果汁を飲食業者に卸しているそうですが、果肉部分だけではなく、白い内皮のワタの部分も入っているため、ただすっぱいだけではなく、甘みや濃厚さがあるそうです。(こちらのレモン果汁は一般への小売は行っておらず、業務用として飲食業者やキッチンカーにのみ卸しているそうですので、興味のある方は直接お問い合わせください。)
今後の大きな方針としては、みかんについては栽培面積を狭めてもいいので品質を上げるところにこだわっていきたいと語っていました。
今回の取材で、戦後からの時代の流れの中で地理的条件との関係で曽保地区でどのようにみかんが栽培されるようになったか、また、温暖化によるこれからの栽培環境の変化などを知ることができました。 組橋さんご夫婦の話からはお互いへの信頼関係を感じました。また、果樹栽培にかける真剣な思いや今後の展望について楽しそうに語る様子を聞くことができ、こちらも元気をもらいました。
みかんは日本人にとって身近なフルーツで、品種改良も数多く行われていることから、とても愛されていることが分かります。テーブルを囲んで家族や友達とみかんを一緒に食べると不思議と安心感を感じる方も多いのではないでしょうか。香川県西部で組橋さんご夫婦を中心に愛情をかけて作られた、まるく農園のみかんを大切な人への贈り物に選んでみてはいかがでしょうか。
香川県には「香川漆器」がある。
漆器というと、輪島塗や会津塗が有名だが、実は香川県も漆器の産地であり、国の伝統的工芸品にも指定されているのだ。その歴史は江戸時代まで遡る。現在の香川漆器の原型は幕末から明治初期に活躍した漆工 玉楮象谷(本名:藤川為造)によって形作られ、その技術は彼の弟である藤川黒斎(屋号を文綺堂)らによって受け継がれた。そして、その文綺堂から分岐して設立されたのが、今回取材させていただいた一和堂工芸株式会社(以下、一和堂)だ。

今の浅野社長は3代目で、お祖父さまが一和堂を設立。
お祖父さまはもともと百姓だったが、兄弟も多かったため石川県加賀市の山中(漆器の産地)で修業し、帰郷後漆器屋を始めた。
戦時中は軍からの依頼で漆器を作っていたこともあったそうだ。当時は金属回収令などもあり物資が不足していたため、さぬき市長尾で製造された竹を編んだものに漆を塗り重ねて食器にしていたようだ。

浅野さんは平成12年に会社を継いだ。当時は経営的に厳しい局面もあり、お父さまからはやめても良いといわれていたが、お祖父さまの代からやってきているものをなくすのはもったいないと思い、やらせてほしいと申し出て会社を継いだ。
社長に就任して取り組んだのが若年層向けの商品開発だった。就任前から若い世代の漆器ばなれは課題としてあった。昔は各家庭に漆器があり今よりも身近な存在だったが、核家族化が進み、漆器を使っていた世代から若い世代へ継承の機会が減り、ライフスタイルの変化もあり漆器は身近なものではなくなってしまった。

そんな状況を打開するために取り組んだことの一つが価格を抑えること。
漆器が身近ではない世代にとって価格が高すぎればハードルが上がってしまう。しかし、だからといって品質を落とせば本末転倒だ。そこで香川県ではあまり行われていなかった「塗りたて」という技法を取り入れることにした。これは油を含んだ漆を上塗り(漆器製作ではいくつかの工程があり、下地、下塗り、中塗り、上塗りなど。字面の通り上塗りとは塗りの最終工程にあたる)に使う技法だ。呂色仕上げ(詳細は後述)に比べると工数が減るため、コストを抑えることができる。その分販売価格も抑えられるので少しでも漆器を手に取ってもらえるのではないかと考えたそうだ。「塗りたて」の仕上がりは柔らかでふっくらした漆らしいものになる。
香川県で一般的な呂色仕上げでは、上塗りのあとに研ぎと艶上げという工程が加わる。これは漆器の中でも高級品に使用される技法だ。表面が鏡面のようにピカピカになる。しかし、これは日常使いのものというより、それこそハレの日など特別な時に使うようなものに使用する技法だ。香川漆器の祖である玉楮象谷が、幕府に献上する漆工芸品を製作していたことを考えれば、呂色仕上げを採用していたのも納得である。
この「塗りたて」という技法、工数が減ると書いたが、それでは誰でもできる技法かというと決してそうではない。むしろとても難しい技法だ。呂色仕上げとは違い表面を研がないため、塗ったその状態がそのまま完成品となる。漆は粘りがあるため刷毛目が極力目立たたないように、また埃や気泡が付かないよう滑らかな仕上がりにするには熟練の技が必要だ。
また乾燥の工程でも苦労したそうだ。当初は商品として店頭に出せるようになるまでにはかなり試行錯誤の連続だったが、いまでは一和堂の戦力になっている。
デザイン面でも様々な取り組みを行った。一和堂では香川県にゆかりのあるデザイナーとのコラボ商品を、デザイナーズシリーズとして展開している。これは県の漆器組合とデザイン協会の取り組みとして企画されたもので、参加するかどうかは各企業の判断だったが、浅野さんは「とにかく挑戦してみる」の精神で様々なデザイナーとコラボを行った。デザイナー側からのオファーも結構あったようだ。
ただ、コラボ商品の開発は必ずしもスムーズにいったわけではなかった。デザイナーのこだわりが実際の製作の場では工数やコスト面で採用するのが難しい場合もあり、デザイナーとの間で侃々諤々の議論になることもあったようだ。
漆は「乾燥」させるのに気をつかう塗料なのだ。乾燥というと熱や風をあてて水分を蒸発させるが漆の乾燥には温度と湿度が重要で、通常の乾燥とは異なる。(温度:25度程度、湿度:75%程度)
そのうえ、1度に厚く塗ってしまうと「縮み」といって表面がシワシワになってしまう。絵具と同じような感覚で扱うとうまくいかない。こうした特性ゆえにデザイナーとの間で認識の違いが表面化することもあったようだ。
こうしたやりとりを経てデザイナーズシリーズは生まれた。
商品開発で浅野さんが心掛けていることがある。
「人と話をすること」
なかでも若い人と話をすることは商品づくりのヒントになることも多い。なにげない会話の中で生まれた商品も少なくない。
高松はお盆の木地の産地でもあるため、祝いごとの贈り物としてもよく使われていた。そのため香川県下の各家庭には、漆塗のお盆が1枚といわず複数枚はあるような状況だった。そうした背景もあり、お客さんからもお盆以外で何かいいものはないかと聞かれたという。そこでカップを色漆で塗ってみたところ気に入ってもらえたそう。当時は独楽塗の朱、緑、黄の3色だったが、いまでは12色でカップだけでなくスプーンやフォークなどバリエーションが豊富だ。

県産品コンクールで最優秀賞も受賞している薔薇の器も何気ない会話から生まれた商品の一つだ。「女性ってバラ好きだよね」という日常の中での会話から、漆器で薔薇をイメージした商品を作ってみようということになった。結婚のお祝いや内祝いとしてお求めになる方も多いそうだ。

こうした様々な取り組みについて浅野さんは、
「何か出来たらいいなと思ってとにかくトライしてみる。」
取り組みを振り返って
「やってよかった。面白いし、なにより(コラボなどは)自分にはない発想を得られる。それは一和堂としても財産になる」
東京での展示会に出展した際、お父様の代から一和堂を知っている方が、イメージがガラッと変わっていて驚いていたそうだ。
様々な新しい取り組みを行う一方で、お祖父さまの代から塗りをしっかりするということを大切にしており、職人にも自分が買いたいと思わないようなものは作ってはいけないと口を酸っぱくして言っている。
コストカットのために下地などで手を抜いたとしても、出来上がったものは見た目からでは玄人でもわからない。しかし、実際に使っていると手を抜いているものは、そうでないものと比べるとやはり塗装の剥げや木地の欠けなどが生じやすくなる。だから、見えないところであっても決して手は抜かない。
デザインは時代とともに変わっても、基本的なモノづくりの姿勢は変わらない。
新しいことへの積極的な挑戦と丁寧な伝統的なモノづくり、伝統と革新の両輪で歩む一和堂の今後から目が離せない。
最後に一和堂を支える工房の様子を少しご紹介。

両手と足でささえて作業 お祖父さまの代から続く一和堂の塗りのスタイル
写真(上)は馬の毛が使われた刷毛で生漆を木地に刷り込んでいるところ。結構な力仕事だ。

高橋さんは一和堂に入社して38年のベテランだ。漆の仕事がしたくて一和堂に入社。天職だと思ってこの仕事をしている、そう仰るその瞳からは職人としての誇りと、本当に漆の仕事が好きなことが伝わってきた。

最年少の髙木さんは入社して8年目。地元の工芸高校を卒業後、香川県漆芸研究所(県が運営する香川漆芸を継承するための教育機関)に入所。そこで3年間香川漆芸を学び、修了後日常使いの漆器づくりの道に進むため一和堂の門を叩く。今は職人として漆と向き合う日々をおくる。
塗の際お盆などを支えるために脚の上に置いている布は漆を吸ってカチカチになっていた。

一和堂の店舗では栗林庵オンラインショップで取り扱いのない商品もご購入いただけます。要事前連絡。詳しくは一和堂のwebサイトをご確認ください。

今回はさぬき市にある(株)安岐水産にお邪魔しました。
安岐水産は津田港のすぐそばにあります。車で5分ほどの場所には「日本の渚百選」にも選ばれた津田の松原があり、風光明媚な観光地として親しまれています。
1965年創業、いかの王様「アオリイカ」を使った「いかそうめん」を中心に香川県ブランドのさぬき蛸や讃岐でんぶくも扱う水産加工会社です。
〈さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョの製造〉
2019年度かがわ県産品コンクールにて食品部門の「うどん県。それだけじゃない香川県」知事賞(最優秀賞)を受賞した「さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョ」はかがわ物産館「栗林庵」で3年半の間に2,300個以上販売するほどの人気商品です。

主役であるさぬき蛸、伊吹島周辺の海で取れたいりこ(カタクチイワシ)、香川本鷹(とうがらし)、にんにく、坂出の塩など、香川県産のこだわり素材をぜいたくに使用しています。
商品開発にあたっては何度も試作を繰り返し、食材の配合の割合や、パスタやバゲットに合わせた時の味のバランスはどうかなど、納得がいくまで半年間ほどかけたそうです。
それでは、製造工程を見ていきましょう。
一般的には機械で行うタコの滑り取り(洗浄)を安岐水産では、タコの吸盤から足の先まで手間ひまをかけて手で汚れを落とします。手で洗うことで吸盤の細かい部分の汚れもしっかり取れ、機械洗浄した場合に比べて格段においしくなるそうです。


驚いたのはこのアヒージョの製造工程もほとんど手作業でおこなっていること。
タコは食べやすい大きさにカットし、いりこは頭とはらわたをきれいに取り除きます。

丁寧に下準備された材料を全て混ぜ合わせ、オリーブオイルで満たしたトレイに入れ、均等につけ込みます。
その後、専用の加熱調理機で加熱し、粗熱をとって冷蔵庫に移します。味がなじめば、瓶詰めをして完成です。

〈県産品コンクールの受賞について〉
当時は今と比べて漁獲量が多かったさぬき蛸の普及の目的で、安岐水産にとって初めてとなる瓶詰め加工食品を2019年の県産品コンクールに応募し、知事賞を受賞。受賞後、反響は大きく多くのメディアにも取り上げられました。
過去にも県産品コンクールに出品したことがありますが、その時は惜しい結果となりました。受賞できなかった理由について考えてみると、中身の品質がいいのは当たり前だが、商品の中身だけではなく瓶や箱などのパッケージデザインも重要だということに気づいたそうです。そのときの失敗がさぬき蛸といりこのアヒージョの受賞につながったと、当時のお話も聞くことができました。
最近ではさぬき蛸の漁獲量は年々減っており、製造も難しい状況になってきています。リピートくださる方や、パッケージをかわいいとお土産に買ってくださる方もいらっしゃるので少量ずつでも長く作ってお客様にお届けできるようこれからも作り続けていきたいとおっしゃっていました。

〈漁業の技術的な発展〉
漁業従事者が高齢化し、減少している現状を重く受けとめ、香川県では「かがわ漁業塾」の研修生を募集しているとのこと。さぬき市津田にも毎年県外から漁師を目指して若者が数名来てくれているそうです。
栗林庵につなげて言えば、漁業だけではなく、香川漆器などの伝統的工芸品も後継者不足に悩まされていると聞きます。こういった、地域の魅力である産業をどう未来につないでいくか、もしくは時代にあった技術やシステムをどう取り入れていくかというのが業界に限らず、今後の大きな課題になりそうです。
〈さぬき蛸調査隊の商品開発に協力〉
今年の夏休みには海と日本プロジェクトの企画で「さぬき蛸調査隊」という子供達が参加する体験学習が行われました。タコが獲れない理由を探しに森や海に足を運び、漁師さんの話や大学の専門家の先生に聞きにいった3日間のプロジェクトでした。最初はタコを使った商品を新たに作ろうとしましたが、そもそもタコが獲れません。そこで子どもたちが着目したのはタコが減る原因と言われている鯛に注目。この鯛の増加を抑えることができれば、逆にタコが減らずにすむんじゃないか、生態系を元に戻すことができるんじゃないかと子どもたちは考えたそうです。そこでは子供ならではのアイデアとして鯛を使ったおやつを作ったらという意見が出てきたそうです。
安岐水産の社屋の隣にあるねこ海レストランで料理を提供する際のアイデアとして容器をプラスチックから木製のものに代えたり、鯛を使った食品をお弁当に入れたり、地産地消にこだわり、さぬき市や香川県でとれた食材を使用したりと興味深い考えが多数出てきたそうです。
〈チーム活動について〉
安岐水産では「チーム活動」というものを行っていて、社内の役職、部署などに関わらず、「SDGs社会貢献チーム」や「おもてなし感動づくりチーム」など、全部で6つのチームに従業員全員が参加し、社内を盛り上げるイベントや、お誕生日に感謝を伝える活動、海岸の清掃など様々な活動を行っています。
キャプテンは役職に関わらず、パート従業員やインドネシアからの技能実習生が担当することもあるそう。それぞれのチームでは日常の業務とは別の活動などを行います。インタビューを伺っている最中、事務所の雰囲気がとても和やかでしたが、そういったチーム活動が社内の風通しの良さや信頼関係を形作っているのを感じました。
〈インドネシアの技能実習生について〉
現社長の安岐麗子さんは以前、インドネシア ジャカルタへ日本食品の輸出をされていたそうですが、そういった縁もあってか、現在までに25名のインドネシアからの技能実習生を受け入れています。話を聞くところによると皆さん真面目で技術を真剣に勉強してくれて、一所懸命働いてくれるそうです。
技能実習生の取得した魚の加工方法などの技術もゆくゆくは海外からの原材料輸入などに役立ってくれることで未来につながっていけばうれしいと営業部の山中さんはおっしゃっていました。
今回取材をしてみて、さぬき蛸といりこのアヒージョの原材料や製造へのこだわりはもちろんですが、安岐水産の取り組みについて初めて伺い、社内でのチーム制の導入や、SDGsや食育に関する取り組み、技能実習生の受け入れなど広い視野を持った多角的な活動について非常に魅力的なお話を伺うことができました。これからの未来を見据えた安岐水産の活動に注目していきたいと思います。

〈株式会社 安岐水産〉
https://www.aki-mp.co.jp/
〈ねこ海レストラン〉
安岐水産の社屋に隣接した魚介類を使ったお惣菜店。
瀬戸内のおだやかな海を眺めながらおなかと心を満たせる場所です。
おすすめは「イカ丼」「たこ飯」「さしみ(日替わり)」とのことです。
